
西鉄大牟田線と太宰府線に挟まれたところに、
令和2年5月、「客館跡」が完成しました

今から約1300年昔のお話。
当時アジアで一番栄えていた唐や新羅などの外国から、
日本に使節がやってきて交易を行っていました。
外国からだけでなく、日本各地から多くの人々が集まる大宰府は
珍しい品々や、新しい文化があふれる国際都市でした

船で入ってくる使節団は、まず博多に着きますが、
そのあと大宰府にやってきて、この「客館跡」に滞在し
大宰府政庁での外交儀礼や宴にのぞみました

そこでは素晴らしい音楽が流れ

最高級の食器で豪華な食事がふるまわれたそうです


どんなお料理が出たのか、気になりますねー

当時の大宰府は奈良の平城京をモデルにして、
東西南北に碁盤の目のように街の区画がなされていました

東西の道路を条、南北の道路を坊と呼び、
このような区画の仕方を条坊と呼びます。
今はいろいろな建造物が建設されているので、
当時の条坊全体を見ることはできませんが、
展望所に上ると、東西に走る14条と15条の道路跡や
南北に走る2坊の道路跡がうかがえます

また、宝満山や四王寺山、天拝山など、大宰府の都を護り
古来より歌に詠まれてきた山々を見ることもできます

きれいに整備された「客館跡」は、
いにしえを学ぶだけの場所ではありません

緊急の際には、仮設のトイレや調理場が設置できるように、
災害時の対策もなされているそうです

明るく、青々とした芝生(現在は養生中)の「客館跡」は、
お散歩に最適

梅雨が明けたら、ぶらっとお出かけしてみませんか?
(雅)